高速道路の喧騒が聞こえる。それでも川に面したこの街は、どこか落ち着いた空気をまとっている。
堂島浜1丁目と2丁目。歩いて20分もあれば端から端まで行ける、小さなビジネス街だ。


堂島川にかかる中之島ガーデンブリッジを北へ渡ったこの場所には、かつて「堂島米市場」と呼ばれる江戸幕府公認の市場があった。

江戸時代、堂島の中之島には、全国の各藩の諸大名の蔵屋敷が軒を連ねていた。
当時、米は通貨だった。大名の石高(米の収穫量で測る領地の価値)も、武士の給料も米で決まる時代。
諸藩が集めた年貢米はまず、ここ大坂に集まる。
米仲買人による取引が行われ、それが全国の米価格の基準となる。
大坂の堂島は「天下の台所」と呼ばれるほど日本最大の市場だった。

当時の大坂の商人たちは、新しい売買取引の方法を考案した。
天候ひとつで値が乱高下する米を、収穫前に値決めして売買する「帳合米取引(ちょうあいまいとりひき)」__今でいう先物取引だ。
「敷銀(しきぎん)」と呼ばれる保証金を積み、差額だけを決済するこの世界初の仕組みは、世界最大級の先物市場・シカゴ商品取引所の原型になったといわれている。
午後2時、取引終了の合図が出ても、白熱した商人たちは解散せずに売買を続ける。それを「水方役(みずかたやく)」が水を撒いて強制終了させたという。
それほど熱気あふれる場所だった。

その市場も、1939年、戦時の政府統制によって幕を閉じる。
現在は、市場の跡地に安藤忠雄の「一粒の米」というモニュメントが静かに立っている。
当時の大阪商人の矜持に敬意を感じる場所だ。

堂島浜2丁目を歩いていると、周囲のビルとは明らかに異質な建物が目に入る。
茶褐色のスクラッチタイルが張られた、どっしりとした5階建「中央電気倶楽部」だ。
大正3年(1914年)創立、現在の建物は昭和5年(1930年)完成。

日本電気協会関西支部が東京中心の運営に反発して、分離独立した。
「日本の中央は大阪である」という自負を込めて「中央電気」と名づけ設立した社団法人の建物である。
昭和7年(1932年)この建物の5階ホールで、松下幸之助が幹部社員を集めて「水道哲学」を表明した。
「水道の水のように、良質な製品を低価格で大量に供給することで、人々の生活を豊かにし社会から”貧”をなくすことを使命とする」__パナソニックの創業者・松下幸之助が唱えた経営理念が生まれた場所が、ここだ。
ただし、中には入れない。ドレスコードありの完全会員制の社交倶楽部で、外観を眺めるだけになる。
ここでもやはり大阪商人の信念と誇りを感じる。

堂島浜一丁目の大阪堂島浜タワーの16階は、無料の展望台になっていて、見晴らしがいい。
堂島川が蛇行しながら続き、かつて蔵屋敷が並んでいたであろう川沿いを今は高速道路が走る。
東京とはまた違った、水の都の風景だ。


視線を南に向けると、大阪経済の大動脈・御堂筋がまっすぐ見える。
梅田新道交差点から大江橋、淀屋橋、心斎橋、道頓堀橋と川を渡り、難波まで続く。
南行き一方通行、幅員が43.6メートルもある御堂筋は、秋になると紅葉した銀杏並木が美しい。
こうやって上から見渡すと、この小さな街が大阪のど真ん中にあることがよくわかる。

夜景もまた美しい。


堂島浜1丁目と2丁目。歩いて20分もあれば端から端まで行ける小さな街。
でも歴史は深い。江戸から昭和の時代、そして現在にも続く大阪商人の矜持に想いをはせながら、まちあるきをしてみてほしい。

【アクセス】
JR東西線「北新地駅」/京阪電車「大江橋駅」/Osaka Metro御堂筋線「淀屋橋駅」下車すぐ


※コメントは最大500文字、5回まで送信できます